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ニュージーランドトレッキングに参加して………‥‥………甲 洋子


フイリピンの火山爆発で、1月14日の便が欠航となり1日遅れで、ニュージーラン ドに着きました。(イヤーな予感)

南半球は夏です。16日、快晴の中、人間の数より羊の方が多い風景を見ながら、230Kmバスで移動しデカポ湖へ。

それは美しい氷河湖で、マウント・クックを望む代表的な風景に圧倒されました。

日本人が経営する湖畔のレストランでキングサーモンの丼を頂き、トロトロのサーモンは美味しかったです。

またバス に乗り、マウント・クックの麓にあるプカキ湖に向かいました。この氷河湖はタスマン氷河から流れる水が、すべて流 れ込みミルキーブルー(青と緑と白を混ぜた色)本当に美しい青緑色でした。

マウントクックロッジで宿泊です。素敵なロッジで広い部屋に広いベッド、ベランダには野ウサギが散歩しています。

17日、早朝フッカーバレーのトレッキング、約10㎞ほど、サザンアルプス山脈の一部を見ながらのトレッキングです。

マウント・セフト3151mの山肌は真っ白く覆われて、懸垂氷河が美しく時折雪煙を上げて落下していまし た。

少し時間をおいて「ゴウオーン」と谷中に響き渡ります。何度も見られ、氷河の形が変化していくのが見られ凄い迫力でした。

フッカー川沿いに歩き、第2吊橋を過ぎると間もなく、サザンアルプスの最高峰アオラキマウント・クック3724mが目の前に現れ神々しく、聖域に辿り着いたように呆然としてしまいました。

アオラキとはマオリ語で天の雲に突く山という意味だそうです。ガイドさんによると、フカーバレーは別名風の谷と言われるほど、晴れても風が 強い場所だそうで、その日は無風、雲一つない日でした(イヤーな予感が外れました)

氷河の流れたU字谷や両端のモレーには氷河の削った跡など、長い時間をかけて変わっていく、そして今も変化している地球を感じることが出来ました。

テアナウへ400Kmバスで移動です。夜の8,9時はまだ明るく10時頃に少し暗くなります。

明日はいよいよ最後のトレキングです。ニュージーランドには多くのトレッキングやハイキングコースがあります。そのうちの一つルートバーン・ト ラック/キーサミットでディバイト峠から入り、森林の中木漏れ日を浴びながら 登ります。

ハイカーにも沢山会いました。コースの途中からキーサミットに登ります。360 度の景観が開け、美しい景色を眺めながら、急登や平坦な道を登りました。

山頂からは日本の槍ヶ岳や剱岳の様な山々がまじかに迫り氷河谷を見下ろす場所 で昼食、美味しいコーヒーを飲みこれぞ「ニュージーランド・トレキング」を満喫しました。

次の日はテアナウ湖の洞窟に生息する土ボタルを鑑賞してきました。大きな船に乗って対岸の洞窟まで行き、夜空の星のように輝く光がとても神秘的でした。

一日遅れで始まったニュージーランド・トレキングの予定された事は全てクリアー出来、天候にまで恵まれて終えることが出来ました。時差4時間だっ たので体調に影響もなく無事に成田空港に帰りました。

東京駅まであまり寒さをかんじなかっ たのですが、23時06分新高岡駅に降りた時に真冬を痛感し震えました    

                                     甲  洋子

2019 年 7 月 16 日火曜日 9 時 36 分  とうとう「竜飛岬」に立った。

二塚さんの投稿写真です・・・みなさんもどんどん投稿してくださいね。

出雲の国ツーデーウオーク・・・・・・・松井慎一郎

その後の富山湾岸ウオーク目指せ竜飛岬  七尾 国府一博

竜飛岬にて
竜飛岬にて

猪との遭遇・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・松井 慎一郎

 持病対策にウオーキングを始めてから10年。今では公式大会に参加し、地球一周4万キロ達成を目指して頑張っている。

 10年も歩き回っていると、いろんな物事に出会う。

 先日の10月の例会「小撫川ダムから宮島峡を巡る」で猪に遭遇した。

 ダム湖を渡る「やまかわはし」の手前あたりで、リーダーが大声を出した。

 猪の子供が側溝にハマっている。

 何人かが偵察に行くと、猪の子は逃れようとしてもがくが、足を痛めたのか側溝から上がれずに、熊のように吠えた。

 どうしようもないのでそのまま通り過ぎると、こんどは車に跳ねられたらしい二頭の猪の子が横たわっていた。

 家に帰ってから妻にその様子を話し、今月はあと三回大会に参加するつもりだと言ったら「あなたは“歩こうる中毒”ね」と、あきれられた。

「第23回九州国際スリーデーマーチ2017」参戦記・・・・国府


四国八十八ケ所霊場めぐり「79番~88番札所と高野山」結願の旅                                                                                                                                                          甲 洋子

4回目(4年目)を迎えた遍路旅は「涅槃の道場」と秘境祖谷のかずら橋と大歩危峡を旅しました。

出発は雨でしたが、西に行くにつれてだんだん晴れて、快晴の中札所参りが始まりました。

七十九番高照院、般若心経は声も揃って上手に唱えられ、先達さんも感心しておられました。

八十番は遍路旅の4つ目の国分寺(四国各県に1か所ある)、鎌倉時代の七重の塔跡があり、大きな15個の礎石が残っていました。

鐘楼は奈良時代の鋳造と推定されている。このお寺には5.2mの大きな本尊十一面千手観世音が安置されているそうだ。

八十一番白峯寺・八十二番根香寺で初日を終え、また雨が降り始めましたが、雨の中でもなんのその、美味しい夕食を目指して全員居酒屋へ・・・・

二日目は八十三番一宮寺から始まり八十四番屋島寺へ。

屋島の標高293メートルで台形をした山上は、南北二つの嶺に分かれており、屋島寺は南嶺にあった。

天平勝宝六年(754)に、唐僧鑑真は大宰府を出発して難波に向かう途中屋島に寄ったそうだ。

壇ノ浦戦では、那須与一の扇の的など、教科書に出てくる歴史の町です。

八十五番八栗寺はケーブルを利用して登り、本堂の後ろには、四つの峯が剣の尖りのように聳えたっていました。

八十六番志渡寺、八十七番長尾寺と御参りして、ちょっと高松城址に寄りました。

今夜の宿は「トレスタ白山」といって、小高い丘の上にあり、フロントが8階にありました。

部屋には露店風呂が付いている素晴らしいお宿でした。

おススメ上手なお姉さんに、男性陣は鼻の下をなが~くし、どんどんお酒が進みます。

明日はいよいよ八十八番大窪寺。だいじょうぶかな~~

三日目、いよいよ結願成就です。本堂に辿りついた遍路の最後のお勤めを丁寧にあげます。

先達さんと一緒に最後の般若心経を唱え、繰り返し南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛・・・・・・・・・・・・・・・・

いつまでも立ち去り難く、巡り終えたという喜びで、何度も何度も、ありがとうございますと心の中で呟いていました。

さあ、午後からはいや伊予観光です。

吉野川中流域に位置する大歩危渓谷を遊覧船で下り、天然記念物の含礫片岩の美しい岩や、面白い形をした岩など、吉野川の水は透明度が高く、川幅いっぱいに泳いでいる鯉のぼりが川面に鏡のように映っていました。

粗谷のかずら橋は少々揺れましたが全員渡り、歩き足りない人は宿まで歩きました。

ケーブルに乗って露天風呂へ行く面白い温泉で、私たちの担当はとてもかわいい男の子でした。

地元の若い男性の仲居さんでしたが、みんな我が子のように可愛がっていました。

四日目、お大師さんのご加護のもと、道中さまざまなお陰をいただき、八十八番大窪寺に最後のお札を納め、高野山へ登り、奥の院廟所でお礼参りをして、四国遍路は結願成就する。

「遍路の終着は高野山奥の院にあり」とありますので、私たちも徳島港から和歌山港へと南海フェリーで渡りました。

金剛峯寺、壇上伽藍とお参りし、高野山の尼さんからとても良いお話を聞かせていただき、温かい心になって地蔵院の宿坊へ行きました。

夕食には、情人料理をおいしくいただき、般若湯もたくさんいただき、お大師さんも驚かれたこどでしょう。

夜の高野山はとても寒い。明日はいよいよ奥の院です。

五日目、一の端から中の橋を渡り、参道を行けば杉やヒノキの老木が鬱蒼と生い茂る中に、墓碑や供養塔が立ち並び、歴史に名前が出てくる人たちも多く見られ、なかなか前に進みません。

玉川に架かる御廟橋を、南無大師遍照金剛 南無大師遍照金剛と唱えながら渡れば、そこは御廟の聖域です。

大師は金剛峯寺で入定され、今なお人々を救済されておられるとのこと。

長い道中を大師と共に歩んだ「同行二人」のお杖を納め、私たちの心の支えとなり、励ましてくださり、生きる喜びを与えてくださった。

奥の院の灯籠堂から御廟所の前へ進み出て、心ゆくまでお礼を申し上げ、四国遍路の旅は終わりました。

4年に亘りお遍路して各々の心も清らかになり、大師の教えを守って、残された人生をしみじみ生きていくのでありましょうか。謎の中です。大師のみぞ知るです。(^ ώ^)

南無大師遍翔金剛 南無大師遍翔金剛 南無大師遍翔金剛・・・・・・・・平成29年4月


足摺岬・・・・・・・・松井慎一郎

弘法大師が足を摺り摺り辿りついたとの言い伝えから名づけられた足摺岬。

四国歩き遍路も今回は五度目で、37番岩本寺から足摺岬にある38番剛福寺まで90キロ弱もある。

さらに高知県最後の39番延光寺まで51キロと、まさに試練の道場にふさわしく、かなりの強行軍であった。

初日は8時間も鉄道に揺られ、歩いたのは10キロ足らず。

二日目、前を歩く遍路さんを抜いた。「どこかで会いましたね」と声をかけると、特急列車で同じ車両にいた男性だった。彼とはその後二回遍路宿で同宿となった。

まだ3月なので、四国でも、朝宿を出立するときは肌寒い。だが日中は暖かく、歩き遍路に最適な気候で、山桜や菜の花を愛でながら歩を進めた。

田宮虎彦の「足摺岬」の舞台となった漁師町に寄る。漁港に行くと『海の遍路道』と書かれた道標があった。

ここが四国の親不知かと思い、海岸線を磯づたいに岬へ向かった。

少し進めば遊歩道に出るだろうと思っていたが、岩はゴツゴツしてくるし、波は高くなるし、進退窮まってしまった。

やむなく10メートルはある断崖をよじ登り、さらに上の藪を突き進んでようやく遍路道に戻ることができた。

岬にたどり着いたときはもう5時で、お寺には行けたものの、身体じゅう擦り傷だらけになった.


廃線跡のウオーキング       松井慎一郎

 10月の例会が庄川水記念公園をスタート地点として開催された。

 天候は午後から雨とのことで迷ったが、興味を持っていた場所を巡るコースだったので、意を決して参加した。

 庄川水記念公園までは、公共交通機関の便が悪く、石川県の会員も多いこともあって、午前10時の遅いスタートだった。

 庄川沿いの遊歩道から 堤をしばらく歩くと小雨がパラついてきて、めいめい雨具を着てウオーキングをつづける。

 堤から 国道156号に出る手前に、小牧発電所の方へのびる 細い道がある。

 この道こそが 、かつで庄川水電専用鉄道の廃線跡である。

 小牧ダム建設の資材運搬用に開設された電気鉄道だったが、休日には何本かの観光用列車を走らせ、遊覧船と連携して大牧温泉まで運んでいたのである。

 当時の鉄道遺構はほとんどなくなってしまったが、小牧発電所から小牧ダムを結ぶ地点に残ったトンネルは改修されているが今もそのまま残っている。

 同道の友人に話すと、全く知らないとのこと。 今から 80年以上も前のことで、地元の人でも知らない人が多いだろうと思われ 、さもありなんと思った。

庄川水電と木材業者との争議で歴史に名をはせた舞台を、雨も忘れて、あれこれと思いをはせながら 歩いたひと時であった。


ウオーキングに参加して詠める短歌・・・・・堀 周一