当協会は、富山県高岡市に本拠を置く、ウオーキング愛好者の同好会です。 

 2011年6月に発足して以来、月1回の例会を通して、地域の歴史と文化に触れ、自然を堪能しながら自らの健康づくりと仲間同士の親交を図っています。

 今日では会員数も200名に達するまでになりました。(少し減りました)

 当協会は「富山県ウオーキング協会」を通して「日本ウオーキング協会」に加盟し、会員には「IVV」の規定による参加回数や歩行距離に応じた記録認定を行っています。

 また、「日本ウオーキング協会」では「オールジャパンウオーキングカップ」や「東海北陸マーチングリーグ」など、さまざまなウオーキングイベントを始め、「地球一周4万キロ挑戦」の記録認定なども行っており、会員の中にはそうしたイベントに参加している人も大勢います。

 あなたも一緒に歩いてみませんか(一般参加費 500円)


第111回例会「東山円筒分水槽」

                 参加者62人(会員55・他協会5・一般2)

水をめぐる争い ─── 待っても待っても雨は降らず、太陽がジリジリと照りつけます。土にヒビが入って稲も枯れ始めます。どこかの集落が耐え切れず、夜中に上流の堰を壊しに行きました。村中が殺気立ちます。人々は手にカマやクワを持って集まり、戦国時代さながらに川を挟んでの乱闘が始まります。

九十九里平野の水争いは、江戸時代から昭和に至るまでに50数回記録されていますが、これは訴訟を伴うような大きな争いであり、小さな水ゲンカはいつも起こっていました。

明治27年、栗山川の水をめぐって両岸の農民2百数10名が、手に鍬、鋤、竹やり、日本刀、仕込杖に白装束にて激突、不幸にも2人の犠牲者を出しています。また、昭和8年の干ばつでは、ある農民が水利組合長を刀で切りつけたり、農民が大勢押しかけ村長宅から米を強奪したりというような話も残っています。

長野県の梓川も水量が少ないため、両岸(松本市や安曇野市など)では常に水争いが繰り返されてきました。特に江戸時代後半の水争いは激しく、江戸表での判決に及ぶこと数回、多数の犠牲者を出した記録を持っています。

大正13年に起きた流血の惨事。この年の夏は大変な日照りが続き、梓川扇状地の水田約1500ヘクタールが収穫皆無に近かったといいます。手に鎌や棒を持ち両岸に対峙した農民達は、投石や殴り合いを繰り返し、ついに多数の警官の出動となりました。

上のような記録は、多かれ少なかれどこの村でも残っています。何百年におよぶ水争いや山争いを通して、様々な約束事ができたり、証文が交わされたりして、村々の「農」をめぐる秩序ができ上がっていったのです。現在では、このような争いはみられませんが、それは過去にこうした厳しい秩序ができ上がってきたからなのです。 したがって、この秩序は、水利システムをコンピューターで操作する現在でも変わっていません。今でも大渇水になると、江戸時代の古文書の証文にしたがって水を分けたりする地域はたくさんあります。

関東農政局のホームページより・・・農村振興→水土里の情報→農を科学してみよう→第3章 農が作った国土→水争いと「農」の秩序

最終更新

 7月3日                  

更新履歴    5月7日    歩行記録      

お知らせ

🔴第112回例会「七尾城跡」 集合場所が変わりました