2021年度

第97回例会・・・・・2021年1月3日―「櫛田神社へ初詣」

正月(むつき)立つ春の初めにかくしつつ相し笑みてば時じけめやも 

陰暦正月を迎える、春のはじめに、このようにして(お酒を飲みながら)、お互いに笑顔をかわすことは、時節外れかなあ、いや、時節にふさわしい。

大伴家持 万葉集 第18巻 4137番歌 

櫛田神社は、751年、万葉の歌人、大伴家持が勅使として参拝した延喜式内社です

当地に残る伝承では、近くにあった大きな池に大蛇が棲み、村人を食っていたが、あるとき、娘を食ったときに、その娘が髪に挿していた櫛が大蛇の咽につまって大蛇が死んだので、娘と櫛を祀ったのが当社の始まりであると伝える。

第98回例会・・・・・2021年3月13日―「三郎丸蒸留所見学」参加者45人(会員40・他協会4・一般1)

日本に初めてウイスキーがもたらされたのは、江戸時代末期のペリー来航の時と考えられている。18537月、浦賀の奉行や通訳がサスケハナ号で歓待された時、ウイスキーが振る舞われたそうだが、度数の強さにさぞかしびっくりしたことでしょう。

日本でウイスキーが作られ始めたのは1870年頃であるが、販売用の生産が開始されたのは1924のことである

日本で作られるウイスキーは「ジャパニーズウイスキー」と呼ばれるが2000年代に入ると日本のウイスキーは本場で高い評価を受けるようになり、オークションで100万ドルで落札されるものもでてきた。

今年の4月からようやく「ジャパニーズウイスキーの表示に関する基準」とやらが決められるらしい。

今から約半世紀前、スナックでサントリーの「だるま」をボトルキープして、仕事帰りに飲んていたことがあったが、いつの頃からか安物の焼酎に代わった。

日本人は何を作っても極めるところがあるから、車に限らず世界中がびっくりすることになる。ウイスキーもまたしかり。

第99回例会・・・・・2021年4月4日―「水道つつじ公園へお花見」参加者45人(会員40・他協会3・一般2)

「足引きの山桜花一目だに君とし見てば吾(あれ)恋ひめやも」大伴家持

(山の桜を一目あなたとともに見られたら、こんなにも花が恋しいとおもうでしょうか)

「あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも」山部赤人

(山の桜が幾日も続けて咲いていたら、ひどく恋しくは思わないだろう)

さすがにこの時代には「ソメイヨシノ」はまだないから山桜なんですね。

江戸時代はいろんな文化が花開いた平和な時代だったというが、朝顔や桜など園芸植物が盛んにつくられた。

日本に数百万から一千万本あると言われるソメイヨシノはエドヒガンとオオシマザクラの雑種が交雑してできた一本の木を基にするクローンだと言われます。

数百万も接ぎ木や挿し木で増やしたとはなんと気の遠くなるような・・・・・

和歌や俳句に「花」とあったら桜を指すことになっているそうだ。

「花の雲(雲がたなびいているように見える桜の花)鐘は上野か浅草か」芭蕉

「花の雪」「花の雨」「花の風」はどんな桜?

第100回例会・・・・・2021年4月25日ー「宮崎海岸〈石楠花とたら汁〉」参加者72人(会員58・他協会8・一般6)

「春の海 ひねもすのたりのたりかな」与謝蕪村

「はるうらら 石楠花目出て鱈を食う」読み人知らず

春の海辺をそぞろ歩きならぬぞろぞろ歩く。

シャクナゲがなんで石楠花なのか、意味が分からんと思ったらやっぱり生薬と間違えられたんだ。

シャクナゲはもともと高山植物だから、さすがの園芸好きの江戸の人たちも手を出さなかったらしい、なぜなら日本には古くから山岳信仰があり、山の高い頂に咲く岩場に不似合いな豪華な花は山の精霊の化身とされてきたのだから。高嶺の花だったんです。

時が流れ、山岳信仰も薄れてくるにつれ、徐々に市中に出回るようになる。ちなみに西洋石楠花はヨーロッパのプラントハンターが中国から持ち帰って品種改良したもの。

「躑躅」 読めます? 石楠花もツツジ科なんだそうですよ。

シャクナゲ花言葉「警戒」「危険」は、シャクナゲが高山植物で、採りに行くことがとても危ないことから由来しています。また、シャクナゲの葉には毒性があることから、このような花言葉がつけられたともいわれています。(とネットに書いてありました)

ちなみに「躑躅」は「てきちょく」とも読み、「行っては止まり、進まないこと」、「躊躇すること」といった意味があります。ツツジ」に「躑躅」の漢字が使われたのは、「見る人が足を止めるほど美しい」ということが由来しています。(同上)

第101回例会・・・・・2021年5月23日―「氷見の公園と富山湾の絶景」参加者51人(会員41・他協会7・一般3)

コロナ慣れとワクチンストレス

みなさんワクチンの予約は取れましたか。

毎日いくら電話しても相手は出ない。

朝の9時前からパソコンの前でスタンバイしてもあっという間に「枠はありません」」

小児科から風医者まであまたの接種機関は指定されていてもワクチンの保存ができないから一日分づつしか届かないらしい。一日5人とか10人以下らしい。それじゃあっという間に枠がなくなるわけだ。

ご近所や知り合いに感染者はいらっしゃいます? 私の周りには一人もいません。

毎日毎日「コロナコロナ」と脅されて、なんだかうんざりです。

かみさんに「あわてるな!」と言ったら叱られました。

しかし、富山県もここ数日感染者が急増したようで、おちおちウオーキングもしてられないかもしれません。次回は中止案内が届くかも。

第102回例会・・・・令和3年7月25日—「呉羽山丘陵縦断ウオーク」参加者44人(会員37・他協会5・一般2)

オリンピック開会式の朝、うちのオーシャンブルー(琉球朝顔)が二階デッキの屋根の下で初めて一輪の花が開いた。

朝顔はどうでもいいのですが、今回のオリンピック、開催派、中止派、見事に別れましたね。

あなたはどっち派?

観客を絞って入れる派、無観客派、あなたはどっち?

開会式のセレモニーを見てて、どうしても過去と比較してしまってなんだか切ない気持ちになった人も多いのではないでしょうか。いいか悪いかは別として。

トヨタさんが直前になってスポンサーを降りられました。その影響はいかばかりであったか。

企業イメージ云々という話でしたが、どうもそんな単純なことはなさそうです。それでは何があったのでしょうか。二酸化炭素? 気候変動?

第104回例会・・・・令和3年10月10日—「五響の森《まんだら遊苑〉」参加者58人(会員55・他協会2・一般1)

緊急事態宣言が解除になり、立山の紅葉がピークを迎えるのと好天が重なって立山駅周辺の駐車場は朝から満杯状態。

欲求不満やらストレスやらフラストレーションやらが風船が破裂するように、一気に・・・??したんでしょうね。(適当な言葉が見つかりません)

それにしても・・・10月にこの暑さはないでしょう。ソリャ山の上は涼しいでしょうけど、我々麓をさ迷う者のことも考えて欲しいですね。

今日は70歳以上入苑無料ということで、富山県「立山博物館」の施設の一つである「まんだら遊苑」を見学することにしました。

立山曼荼羅とは、立山信仰の内容を大画面に描いた掛け軸式の絵画のことです。それを「地界」「陽の道」「天界」「闇の道」の四つのゾーンニングで展示してあります。

70歳以上の方は是非一度訪れてみてください。それ以下の方は70になったらどうぞ。

第105回例会・・・・・2021年11月7日——「旧飛騨路庵谷峠」参加者50人(会員42・他協会6・一般2)

飛騨街道

鉄道開通までは富山から飛騨へ塩,海産物,雑貨をウシの背で運んだ重要な道路であった。

富山では飛騨街道、高山道と言い、飛騨では越中街道と言い、宮川沿いを通った道を越中西街道、高原川左岸沿いの道を越中東街道と言われた。高原川右岸沿いの道は越中中道と言われた。

越中からは、米・魚(塩鰤等))・塩などが運ばれ、塩鰤の場合4本を竹籠に入れ1包みし、夕方に氷見を出発して富山で夜が明け、茂住で1泊し、翌日は古河(=古川)泊り、翌早朝高山に入ったという。

第106回例会・・・・・2021年12月5日――「不易流行町伏木を歩く」参加者66人(会員60・他協会5・一般1)

「鶴のいた庭」 堀田善衛

水平線に白い帆が見える。近づいてくる船の帆印が待ちに待った手船のそれである場合はたいへんである」

「望楼から町じゅう響き渡れとばかり『御船の御帰りー』と大声を発したとする。問屋を囲んで一町内をなしている、船頭や水夫たちの留守居の家々は、にわかに息づき、それまでひっそりと飯を食い、洗い物をして日々を送っていた女房達は、また子供たちもいっせいにその人声をこそ幾月も待っていたのだという、心の底からの声を挙げる。声は町筋にどよめき、どの家もにわかに締め切ってあった雨戸を開け、戸障子をはたき、掃除をし、水をまき、買い物に走り、八百屋や酒屋は大八車を引き出して急場の仕入れに出かけ、女房も子供も着物を着かえ、犬が吠えだす。

「その夜の盛んな宴の用意がはじます。使いが方々に走る。花街へ知らせが行き、歌妓(おんな)はみなで何人来ることができるか、その答えを持ってくる。歌妓たちは風呂へ走り髪を結い、小間物屋は白粉や紅を小さな箪笥に詰めk、紺の風呂敷で背に負って娼家へかけつける。ひっそりとした留守居の町はにわかに物音で満たされる」