米中どちらがAI覇権を握るか                       遠藤誉筑波大学名誉教授、理学博士

 AI覇権を米中どちらが握るかに関しては、AIそのものの技術以外に、二つの決定要因が絡んでくる。

 1つは資金力とイノベーションの問題で、これはGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)(ガーファ)が自由競争というボトムアップの中からイノベーションを生み出してきたのに対して、BATISは一党独裁国家が国家プロジェクトとしてトップダウンで国の予算を配分している。

 資金力という側面から見たら、文句なしに中国が強いことになる。しかし独裁国家からイノベーションが生まれるのかとなると、「生まれにくい」と思うのが常識的だ。

 ところが中国の場合、拙著『「中国製造2025」の衝撃 習近平はいま何を目論んでいるのか』で詳述したように、欧米に留学した膨大な人材が中国に帰国しているので、必ずしも「独裁政権ではイノベーション的思考が止まってしまう」とも言いきれない現状にある。特に中国は月の裏側への軟着陸とか、人類には解読不能な量子暗号による量子通信に成功したりなどしている。これはアメリカよりも先んじているので、イノベーションの力よりも資金力の方がものを言っているかもしれない。

 二つ目に重要なのはビッグデータの処理に必要な量子コンピュータの存在だ。中国はアメリカにやや先んじて量子コンピュータの試験的制作に成功しているので、必ずしも全てがアメリカの後塵を拝することになるとも限らない。

 なんと言っても中国は一党支配体制を維持するために、何としてもAIによる徹底した監視社会を完遂しなければならない「国運」がかかっているという必死さがある。それも無視できない要因の一つだ。

中国の場合はAIを監視するAIが必要

 もっとも中国の場合は、AIを監視するAIが必要となるかもしれない。「深く学習した」AIたちは、ネットユーザーの質問に「正直に答える」という「誠実さ」を持つようになった。

 たとえば「中国共産党は好きですか?」と聞かれると「大嫌いです!」と、多くの中国人の心を素直に代表した回答をする。それはそうだろう。ディープラーニングは、14億の人民の行動や思考をデータ化しているのだから。

 また、習近平政権のスローガンである「中国の夢」とは何かとAIに聞くと、「アメリカに移住することです」と、これもまた正直に答える。

 これではAIによる監視社会どころか、AIが反乱を起こしかねない。こんなAIが育たないように、中国共産党を礼賛するAIによって「一般AI」を監視しなければ、中国共産党の一党支配体制が崩壊するかもしれないという、ブラック・ジョークのような結末も待っていないではない。

家庭内暴力

斎藤 環 (精神科医 筑波大学教授 
こころのドア船橋スーパーバイザー)

家庭内暴力は放置すると殺傷事件にまで発展しかねない危険な側面を持っています。しかし、適切に対応すれば、そのほとんどは解決することが可能です。ここには、当院での指導の基本方針を記しておきますので、お子さんの家庭内暴力にお悩みのご家族は参考にしていただきたいと思います。

 家庭内暴力そのものは診断名ではありません。不登校などと同様、ひとつの状態をあらわす言葉です。それが常に病的なものとは言えませんが、もちろん中には病理性の高いものも含まれています。ここで述べる家庭内暴力は精神病、すなわち幻覚や妄想などをともなわないもので、治療的対応によって解決が可能なものを指しています。

 些細なこと、時には理由もなしに突発する暴力は、家庭の雰囲気を荒涼とさせずにはおきません。家じゅうを不自然でこわばった沈黙が支配し、家族は本人のちょっとした表情、しぐさにもおびえながら生活する日々を強いられます。とりわけ母親が暴力を受けやすく、まるで奴隷同然の扱いを何年も受け続けていることがしばしばあります。誇張ではなく二十四時間、べったりと密着した生活が続き、ゆっくり眠る時間すら奪われてしまいます。真夜中に叩き起こされ、本人が唐突に思い出した昔の恨みつらみを何時間でも延々と聞かされます。それでも「母親の相槌が気に入らない」といったことから、理不尽な暴力がはじまります。

 家庭内暴力の底にある感情は「悲しみ」です。単純な攻撃性なら、たしかに「気が済む」こともあるでしょう。しかし家庭内暴力は、そのような爽快感とは一切無縁です。暴力を振るうことでみずからも傷つき、暴力を振るう自分が許しがたく、しかしそのような「許せない自分」を育てたのはやはり両親なのだ、という自責と他責の悪循環があるだけです。  

 家庭内暴力への基本方針は、「暴力の拒否」です。専門家の中には、子供からの暴力はは甘んじて受けなさい、といったアドヴァイスをする人もいます。気が済めばおさまるし、親は暴力を振るわれるだけのことを子どもにしてきたんだから、というのが、その理由のようです。しかし臨床の現場にたちかえるなら、こうした対応は単純に間違いです。間違っているだけではなく、時には暴力を助長してしまいます。「進んで暴力に身をさらす」などという行為は、危険な挑発にほかならないからです。

 「拒否」といっても、もちろんそれは暴力との「対決」を意味していません。「対決」もまた、暴力を助長するだけだからです。暴力の拒否とは「暴力を押さえ込むための暴力」をも拒否するということです。力で家庭内暴力を制圧する試みは、ほとんど確実に失敗します。暴力は暴力の連鎖しか生み出すことはありません。

 また、すぐに入院治療をと焦るのも禁物です。家庭内暴力の入院治療は、本人が納得した場合にのみ有効ですが、強制的な入院(とくに安易になされる医療保護入院)はほとんどすべての場合失敗します。家庭内暴力のケースは、強制的に入院させてしまうと、病院内ではまったく「良い子」として振る舞います。診断のしようもなく、なんの問題行動を起こさない患者さんの行動制限は法的に不可能で、せいぜい長くて一ヶ月程度で退院になるでしょう。こうして家族への恨みをつのらせながら帰宅した本人が、以前にも増して激しい暴力を振るいはじめるのは時間の問題です。

 家庭内暴力について、その重症度、あるいは難しさを決めるのは、暴力の内容ではありません。むしろ問題となるのは「暴力の続いている期間」ということになります。かなり激しい暴力であっても、まだはじまって数週間なら、対処は比較的容易です。しかしそれほど激しさはなくても、何年も続いている慢性的な暴力では、かなり対応が難しくなります。ここでは大きく分けて、比較的対応しやすい「初期の暴力」と、長期化し、こじれた「慢性的暴力」の二つについて、その対応方法を具体的に述べてみましょう。

 どのような対応をするにせよ、まず暴力の背景を十分に理解しておくことはどうしても必要です。客観的な事実はどうあれ、本人の中では、これまでの人生が惨憺たるものだったとの思いが強くあります。受験に失敗したこと、自分の容貌のこと、恋人や友人が出来なかったこと、望んだ会社に入れなかったことなど、本人はみずからのこれまでの歴史を、あたかも失敗の連続のように捉えているはずです。彼らが辛うじて自殺の誘惑に陥らずに済んでいるのは、まさに「失敗」を他人のせいにすることによってです。

 しかし本人は必ずしも「自分がこうなったのは親のせい」であると確信しきっているわけではない。家庭内暴力のケースを治療してゆくなかで、ほとんどすべてのひとが「自分は親に迷惑をかけ続けてきた、ダメな人間である」と告白します。これもまた、彼らの本心なのです。このように彼らは自責と他責の間で引き裂かれ、心やすらぐことのない日々を過ごしています。精神分析家の神田橋條治氏が指摘するように、家庭内暴力の背後にある感情は、「憎しみ」ではなく「悲しみ」なのです。

 初期の家庭内暴力を沈静化するためには、まず「刺激しないこと」です。簡単なようで、これは意外に難しい。これを確実に成功させるには、本人にとってどんなことが刺激になりうるかを正確に知っておく必要があります。皮肉や嫌み、あるいは本人を傷つけるような冗談を口にしていませんか?ついつい決めつけるような、断定的な話し方をしていませんか?こうしたことも悪い刺激になり得ます。  

 暴力をふるわずにはいられないほどの「悲しみ」が、どのように起こってきたか。本人の劣等感を刺激せず、「恥をかかせない」ためには、何に気をつけるべきか。それを知るためには、ひきこもりとも共通する彼らの葛藤のありようを共感的に理解するところからはじめなければなりません。そして、ごく初期の家庭内暴力であれば、このような理解とコミュニケーションが十分になされるだけで、きれいに解消することもあるのです。

 本人の訴えてくる過去のうらみつらみについては、十分に耳を傾けて下さい。暴力は完全に拒否して良いのですが、言葉による訴えはそのぶん、しっかりと受容する必要があるからです。ただし、「耳を傾ける」ことと「いいなりになる」こととは違います。本人の恨みを言葉として十分に聞き取ること、同時にその言葉に振り回されないことが大切です。場合によっては、こうして話し合う姿勢をみせるだけで、暴力が沈静化することもあります。

 それではさらに重症の、長期にわたって続いている暴力についてはどうでしょうか。こちらはいうまでもなく、対応が格段に難しくなります。慢性化に至っている場合、小手先の対応を変える程度では、びくともしないことが多いからです。いや、それ以前に、対応を変えることすら難しくなっている。親がそれこそ、蛇に見込まれた蛙のようにすくんでしまい、身動きがとれない状況におかれてしまうのです。これほどこじれたケースに対してどのような解決策がありうるでしょうか。

 比較的穏当な方法として考えられるのは、他人を介在させることです。これはもちろん、誰かに暴力の仲裁役を頼むということではありません。そうではなくて、ただ家庭の中に他人が入ってくるというだけでよいのです。母親へ激しい暴力をふるっていた息子が、妹の婚約者が同居するようになってから、ぴったりと暴力をふるわなくなったというケースを経験したことがあります。もちろん本人は、他人が入り込むことをひどく嫌うのですが、いったん受け入れてしまうと、それが暴力を鎮めるきっかけになりやすいのです。

 ここでいう「他人」には、「警察」も含まれます。暴力の程度によっては、もちろん警察への通報も考えるべきです。ただしこれは、「警察が何とかしてくれる」からではありません。家庭内暴力の場合、家族が通報して警察官が駆けつけてみると、暴力はすっかりおさまっていることがほとんどです。ご存じの通り警察は、現行犯でもない本人に対して、せいぜい説諭するくらいしか出来ません。しかし、それでいいのです。要は「家族は場合によっては警察に通報するほどの覚悟が出来ている」ということが理解されればいい。「そんなことをしたら、後の仕返しがこわい」と考えて踏みきれない家族も多いのですが、これは家族の態度いかんです。通報すべき時は断固として通報し、それを繰り返すこと。このような毅然とした態度があれば、「仕返し」のおそれはほとんどないといえます。

 もう一つ、暴力の拒否のために私がもしばしば採用しているのは「家族の避難」です。  暴力と対決せずに、暴力を拒否するためには、暴力の場面から避難すること。もちろん家族には多大な負担となるでしょうが、適切に行えば、かなり確実な効果が期待出来ます。その具体的な方法について述べる前に、次のことは確認しておかねばなりません。これらの方法は、効果も大きいぶんだけ、リスクも伴います。またタイミングを誤れば、失敗する可能性も十分にあります。したがって、治療としての「避難」を実践する場合には、専門家と連携することが必要となります。

 繰り返し強調しておきますが、避難が有効であるのは、あくまでもそれが適切になされた場合のみです。くれぐれも「ただ逃げればいい」という短絡的な理解はしないでください。以下に避難のポイントを整理しておきますので、参考にしてみて下さい。

 *治療者と両親の間で、避難の方針と方法について十分に打ち合わせをする  *大きな暴力をきっかけにして避難する(きっかけなしに避難することはむしろ危険)  *怪我をしたような場合、しょうしょう大げさでも入院した方が良い  *避難は必ず、暴力のあった当日のうちに完了する  *当日中に、必ず親から本人に電話を入れる  *電話では「これから定期的に連絡する、生活の心配はいらない、いずれは帰るがいつになるかは判らない、どこにいるかも教えられない、暴力が完全におさまるまでは帰らない」と伝える  *この方針は本人の治療のために専門家と相談し、家族全員の同意を得て決めたことを伝える  *その後は定期的に電話を入れ、必ず五分間だけ話す。時間が来たら途中でも切る  *本人が落ちついたタイミング見計らって、一時的な帰宅や外泊を繰り返す  *外泊時の様子で、特に暴力もなく、また母親と穏やかに会話できる状態で安定したら、帰宅する  *以上のことを、専門家との密接な連携のもとで行う  *親の側は、暴力や脅しに屈せず、誠実で毅然とした態度でことに当たる  *帰宅までに要する期間はさまざまであるが、軽いものであれば一カ月程度でも十分に有効であり、長くても半年ほどで帰宅できることが多い


4月6日 第83回例会のコースづくりに行ってきました。おとぎの森公園に帰ってきたら大変なことになっていた。

大辻山へ・・・11月16日・・・・・ブログ移動

乗鞍高原へー7月2~3日

信州縦断?野宿旅

能登半島一周

昨年の11月に九州へ行ってからはや半年

ゴールデンウイークも終わって、気候も暖かくなったというのに、一向に虫が騒ぎださない。

いつかはそうなるであろうとは思っていたが、歳をとったようでなんとはなしうらさびしい。

そこで、近場で虫の様子をみることにした。

そういえば、能登半島はむか~しところどころ行っただけで、一周はしていない。

明日からなんだか暑くなるというし、腰をあげることにした。

久しぶりの野宿旅で、準備にもたもたして11時ごろの出発となった。

距離約500キロ。最終日、千里浜で思わぬイベントに遭遇した。

大伴家持が越中国司として赴任したのは746年から751年のことだが、そのころ能登は越中国になっていた。家持は赴任して2年目に能登を一回りしたと言われているが、彼はどこを回ったんでしょうね。