2023年度
第118回例会‥…2023年3月19日・・・・・総会ウオーク「下条川沿いを歩く」
日本では旧暦3月を 『弥生 (やよい) 』 と呼び、 現在でも3月の別称として用いますが、 弥生の 由来は草木がいよいよ生い茂る月「木草弥や生ひ月 (きくさいやおひづき) 」が詰まって「やよい」となったようです。
今年の春は暖かい日がつづき、桜の開花も相当早いようです。
今日は早春という言葉がぴったりの、寒くもなく暑くもなく風もなく絶好のウオーキング日和に恵まれました。
梅の花が盛りを迎え、黄色の水仙が咲きだしました。これからどんどん花が咲いて一年で一番いい季節を迎えます。
富山新港展望台から見る新湊大橋は雄大で、展望台広場からおにぎりを頬張りながら青い海と空を見ていると、遠い昔小さな子を連れて行ったハイキングを思い出してしまいました。
ほんとに遠い昔のことです。
第119回例会‥…2023年4月9日―お花見ウオーク「明日の大桜と舟見城址」
今年は桜の開花が観測史上最も早かったそうですね。
二番目も三番目も最近のことらしいから、これも地球何とかの関連なんですかね。
《3月27日にコース下見に行ったときはもうソメイヨシノはどこも満開状態。「明日の大桜」は3分咲きくらい。法福寺のご住職に聞くと、「4月9日はもう花吹雪になってるでしょう」とのことでした。
それでも、バーデン明日香や舟見城址には枝垂桜もそれなりにあって、まだ蕾の状態です。枝垂桜に期待することにしましょう》
京都を初め日本の桜の名所は外国人観光客でいっぱいらしいですが、こんなに早く咲いて大丈夫だったんでしょうかね~
もしかしてラッキーだっただけだったりして・・・・・
日本の文化が世界に広がっていくのはうれしいことですね。今や「はなみ」は世界共通語になったかも。
来年は高等学校へお花見に行きます。さてどこでしょう?
第120回例会‥…2023年5月14日ー「入善沖洋上風力発電」
地球温暖化、脱炭素社会が叫ばれるようになってずいぶん久しい。
車もEV時代到来か、はたまた水素車になるのか。
持続可能な社会(持続可能な社会とは、現在の世代の要求を満たしながら、将来の世代が必要とする地球環境や自然を損なわない社会のこと)の実現を目指すことが急務だと言われています。
基本的なインフラである電力においても火力発電をやめて再生可能エネルギーを利用すべきだと。
風力発電も一時は注目されたものの、やっぱりコストが見合わないと沙汰なしとなっていた。
ところが急にここにきてまた取りざたされるようになってきた。
国も「洋上風力の産業競争力強化に向けた技術開発ロードマップ」を策定し、アジアを中心に産業競争力の強化に乗り出した。
今回の清水建設が建設した世界最大のSEP船による入善沖洋上風力発電もその一環である。手始めに入善沖で初仕事をし、北海道に向かうという。
我が国は初めは鈍いが一旦エンジンがかかると早いところがある。これから面白くなりそうだ。
第121回例会‥…2023年6月18日ー「増山城址と花しょうぶ祭り」
頼成の森と増山城跡の間に荊波神社がある。
荊波の 里に宿借り 春雨に 隠りつつむと 妹に告げつや (やぶなみの里で宿を借り、春雨に降りこめられていることを妹に知らせてくれましたか)
家持が検地に来て雨に降られ、礪波の郡の主帳多治比部北里が家に宿りた。
しかし、荊波神社は高岡にも福光にもあって、それぞれの神社にこの歌碑がある。
それから800年後、この地は越中攻防の地となり、越後の謙信に攻め落とされる。
織田が越中を平定すると佐々成政が来て最後は前田家が支配し、高岡城が廃城になったころ増山城も廃城となった。現在国指定の史跡となっている。
第122回例会‥‥‥2023年7月23日―「薬勝寺池公園から太閤山ランド・親鸞会館を巡る」
今年の夏(7月~9月)の気温は、全国的に平年より高く、暑い夏になりそうです。7月下旬から8月初旬にかけて暑さのピークを迎え、太平洋高気圧とチベット高気圧の張り出しが重なるタイミングで西日本や沖縄を中心に猛暑となりそうです。
8月は中旬以降で暑さの和らぐ時期がありそうですが、西日本や沖縄を中心に平年より高く、残暑が厳しくなりそうです。9月は全国的に高温傾向となり、前半を中心に残暑が厳しくなりそうです。
梅雨が明けて最初の日曜日、夏休みになって最初の日曜日、プールがオープンして最初の日曜日、太閤山ランドは大きな浮き輪を持った親子が続々とプールへ向かいます。
特別例会・・・・・・8月27日―魚津洞杉群
洞杉が群生する南又谷一帯には、脇を流れる片貝川の急流がかつて上流から運んできたであろう花崗岩の大転石があちこちに存在しています。
転石の上で芽生えたスギの種子たちは、石と、そこに生えた苔との間の水分などを吸収し、ゆっくりと石に沿いながら根を伸ばして成長を続けます。やがて地表に根を下ろし、土から十分に養分が吸えるようになるまで数十年、もしくは100年以上。自然がもたらす様々なサバイバルを生き抜いた者だけが残りました。大地に根が届いてからも、湿気を含んだ北陸の雪の重みに耐え、大きくうねったり、崖から迫り出したり。そうして長い長い年月をかけ、宿主のような存在だった転石をもいつの間にか抱え込んでしまうほどの巨木へと成長を遂げます。
第123回例会・・・・・9月24日―「旧北陸道を歩く③黒部~滑川」
『片貝の川の瀬清く行く水の絶ゆることなくあり通ひ見む』
旧道沿いの「大徳寺」の境内に家持の歌碑があった。
家持は税調使として都に発つ前の春に「二上山の賦」「布勢水海に遊覧する賦」「立山の賦」の「越中三賦」を歌った。句碑はその反歌である。
『立山(たちやま)の賦・・・〈あまざかる ひなになかかす こしのなか‥…〉』
「鄙(ひな)にその名も高い越中の国の内には、山は重畳と連なり、川は幾筋も流れているが、貴い神の領したまう立山には夏も雪が降り積もり、帯のように巡り流れる片貝川の清らかな瀬にはいつも霧が立ち込めている。その霧のように、この山への思ひは消えることはないだろう。毎年毎年通い続け、また遠くからでも仰ぎ見ながら、万代までも語り草としてまだ見たことのない人にも話してあげよう。話だけでも、その名だけでも聞いて羨ましがることだろう」
残念ながらこのコースには芭蕉の痕跡は残っていませんでした。
第124回例会・・・・・10月6日「飛騨古川と高山の街を歩く」
高岡から高山への道は遠かった!。
100㌔強の距離のなんと遠いことか!
2019年から4年もかかってしまった
あのときの90人の参加申し込みが3分の1にも届かない。
また中止せざるを得ないのか。
バス会社と値切り交渉すると同時に例会参加者に無理をお願いしてやっと27人乗りの中型で行けることになった。
さて、下見をどうするか。
3人で下見に行けば赤字になってしまうし。
ぶっつけ本番でちゃんと案内できるのか。
案の定、高山城址公園で道に迷ってしまった。
参加者のGPSを頼りに何とか下山したものの、無駄な時間を費やしてしまった。
結局、最後の「飛騨の里」見学を諦めて、土産だけを仕込んで帰途についた。
泣きっ面にハチ。夕方の渋滞に巻き込まれ、高岡に着いたのが7時を過ぎていた。
何事も準備が肝要です。ご迷惑をおかけしてしまいました。
家に帰って、焼酎を飲みながら反省いたしました。